【Case 25】身の丈にあった働き方に行きついた、とある40代男性のお話。

私は北関東のとある小さな街で生まれ育ちました。幼少期から好奇心旺盛でしたが、特に科学への関心を強く持っていました。大学では研究に没頭し、地元の国立大学の化学科を卒業した後、地元の中堅食品会社に研究職として入社し、働き始めました。

元々まじめだけが取り柄だったこともあり、会社ではある程度計画通りに仕事をこなす安定したパフォーマンスを発揮できていたと思います。

そして、所帯は小さいながらも数名の部下を持たせてもらう事もでき、日々会社の商品開発を進めていました。会社の規模は小さく、知名度も業界内ではそこそこあるその時の状況に、私はある程度満足していました。


そんな会社で働き始めて約15年が経とうとしていたある日、久しぶりに大学のゼミの同窓会がありました。その同窓会では昔の仲間と久しぶりに色々な話をしました。卒業後の進路は様々で、東京の会社で働いている人もいれば、地方の企業に就職している人もいました。

その中で、特に仲が良かった友人の話が心にひっかかりました。

「仕事は残業続きで正直体力的には厳しい。でも会社が毎年のように成長しているのが楽しいし、やりがいを感じるんだ」。

その友人は大学卒業後、学生時代に学んでいたこととは全く畑違いのIT企業に就職。プログラミングの勉強をして、今ではシステムエンジニアとして働いていました。

「IT技術は日進月歩で進化しているから、休日も勉強が欠かせない。だから大変だけど、楽しいよ」。
彼はそう言いました。

会社の仕事には満足していました。しかし、「やりがいがあるか?」と問われると正直疑問で、本当はもっと自分は色々なことが出来るのではないかと考えている気持ちもありました。

友人には「お前もまだ30代なんだから、もしチャレンジしたい気持ちがあるなら違うステージで働くという事をやってみれば良いと思うよ」と言われました。

なんだか自分の「焦り」のような気持ちや東京へのあこがれみたいな気持ちを見透かされたような気がして恥ずかしい反面、背中を押してもらったような気持にもなりました。

でもやっぱり40代目前と言う年齢を考えると、今更東京の企業に飛び込むことができるのだろうかと不安も感じました。


同窓会からしばらく経ったある日、夕食の時に妻にそんな話をしてみました。

「あなたが今の会社を飛び出したいと少しでも思うなら、思い切ってチャレンジしてみたら?私も働いているし、ダメならその時考えれば良いわよ」

妻にも背中を押されました。

色々と悩んだ挙句、やらずにする後悔よりもやってする後悔のほうが良いと考えたSAさんは、転職活動を始めました。

その後、半年くらいの転職活動期間を経て、とある中堅の東京の食品開発の会社に研究部門のマネージャー職として入社しました。転職した時に年齢はちょうど40歳でした。新しい環境は刺激的で、彼は新たなステージで自分の可能性を試すことに胸を躍らせました。

転職の面接官でもあった上司からはこんなことを言われました。

「AUさんが今までやっていた研究内容は、元々当社にはなかったジャンルのものが多い。新しいマーケットを開拓するきっかけになるかもしれない。期待しています」。

この言葉に私は燃えました。それに、新しい会社では入社後みんなが親切に接してくれました。みんなのためにもとにかく成果を出さなければと仕事に没頭する日々が始まりました。

しかし、新しい職場の雰囲気は彼が想像していたものとは大きく異なっていました。

自由に意見が交わされる風土、日々変化するスピード感・・・すべて新鮮で、しかし同時に慣れるには今までの環境とあまりにも違い過ぎました。

例えば前の会社の会議では、事前にある程度根回しが終わっている内容を発表するという進め方でやっていましたが、新しい会社ではホワイトボードを使って全員で活発な議論を行うというスタイルでした。

それはそれで楽しい部分もあり、刺激的でもあったのですが、つい先日まで言っていたこととは違う方向で商品開発の方向性が変わっていったりすることが普通にあり、そういったスピード感には正直驚きました。

その他にも色々と企業文化の違いには驚かされましたが、特に困惑したのは、人々が自主的に残業し、結果を出すことが期待される文化でした。

それは転職活動時に聞かされていた「残業は少ない」という話と現実が大きく異なっていました。毎日遅くまで仕事を進める社員がいる中で、自分だけが定時で帰るにはちょっと気が引ける感じがして、結局私も残業続きと言う毎日になりました。

それに、そもそも自宅からも少々遠いオフィスだったので通勤時間が1時間30分くらいかかっていたため、帰宅は毎日深夜になりました。

確かに仕事のやりがいは大きくなりましたが、同時に仕事が生活に占める時間の割合は飛躍的に増えました。

また、仕事のプレッシャーも大きく感じ、転職後1年ほど経った頃には毎日疲れている感覚が抜けくなくなっていました。それでも必死に仕事に取組み、成果も少しずつ出していきました。


そんなある日、私はとある新商品のブランドマネージャーの一人に抜擢されました。今までは研究だけしている立場でしたが、これからは新商品のマーケティングも考えていかなければならなくなりました。

研究職だけで生きてきた人生だったので、マーケティングの知識はほとんどありませんでした。ですから、連日会社の人に教えてもらったり、自分でも通勤時間や休日に本を読んだりと色々と努力をしていました。そして、この抜擢によってより時間がタイトになりました。

しばらくしてから、カラダには明らかに体調の変化が表れ始めていました。夜中に大量の汗をかき、飛び起きることが増えてきていたのです。これは仕事のプレッシャーがストレスになって、そうなっているのだという事はわかっていました。

しかし、40代で手に入れた新しい会社のポジションを守るためには、何としても仕事に食らいついていくしかありません。その頃の私は悲壮な覚悟を持って仕事に取り組んでいたと思います。

妻はいち早くそんな私の変化に気付いていました。

ある日妻にこんな事を言われました。

「あなたや私にとって一番大切なことは健康やココロの安定よ。無理しないでね」。

でも、結局その後も仕事を頑張り続け、体調を崩してしまい、上司に相談して1週間ほど休暇を取ることになりました。

休暇中は病院帰りに久しぶりにカフェに立ち寄ったり、最近時間が無くて全く観ていなかった映画を観たり、小説を読んだりと気分転換に努めました。そんな中、少し働き方を変えないと結局周囲に迷惑をかけてしまうと考えるようになりました。


休暇が明けてから出社し、上司に思い切って相談してみました。

「研究職一本でやらせてもらう事はできないか?」

結果的にその会社での出世はこれで無くなるかもしれませんが、それでも体を壊して仕事を辞めることになるよりは、そのほうが良いだろうと悩んだ末での結論でした。

上司はそんな私の考えに理解を示してくれて、仕事を研究職だけに絞ることに同意してもらえました。


期待してくれている気持ちに応えられなかった後ろめたさは拭えませんが、それでも会社に残ることを考えるとこの選択は正しかったのではないかと考えています。

「今も相変わらず忙しい毎日ではありますが、前よりも少しだけココロに余裕ができたと思います。僕は野心的に働いて行けるほどバイタリティが無かったのかもしれません」。

元の研究職に戻り、研究内容も入社当時の内容からは少し変わりました。おかげで少し時間も楽になりました。そんな対応をしてくれた会社や上司には感謝の気持ちしかありません。これから少しでも恩返ししていきたいと考えています。


転職したこと自体には全く後悔はありません。転職しなければ、自分は前の会社でそのままのんびりとした人生を歩んでいたのだろうと思います。しかし、自分の限界を知ることも無かったでしょうし、「自分らしい働き方」に出会う事も無かっただろうと思います。

これからの人生は、会社への恩返しはもちろん、自分らしさとは何か?を常に問い続けながら生きていこうと思っています。

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